そこで、彼は以下のように語っている。
「先ほど神戸のA少年の話が出ましたが、僕たちがあの事件の報道を見ていて、一番胸を締めつけられたのは、おそらく少年が育ったまちの全景を写した写真だったり、テレビの映像だったと思います。タンク山という山があって、コンクリートで地面を覆って、そこに巨大な住宅群が並んでいる光景を見せつけられたわけです。あれは、今、日本人の心の内面で何が起こっているのかを計る、重要なものさし、バロメーターになると思うんです」。
一番胸を締め付けられたのが、男児が首を切られて、中学校の正門に晒されたという悲惨な殺人という事実ではなく、町の写真や巨大な住宅街の光景というのだから、「殺人」という事実へのラディカルなまでの不感はまさにオウム的だ。現代社会をゆがんだ形で憎んだオウムの思想の柱とも言われた人物らしい発言だが、あの事件の特殊性と、コンクリートの地面とタンクのあった山や住宅街の並びとの因果関係は低い。勿論、オウムはそういった典型的な現代日本社会を破壊すべく、クーデターを計画し、サリンまで撒いた。この中沢新一の発言の背後にはどんな心象風景が隠されているのだろう。そして、その中沢新一が基本理念策定に関わった愛知万博が自然破壊で批判されているというのは、皮肉を通り越して、滑稽ですらある。
※あの切込隊長に対する記事でさえ、山本一郎君と敬称を付けているのに、中沢新一についてなぜ敬称を省略したかといえば、オウム事件に、内乱予備罪や破防法が適用されていたら、十分彼も容疑者の一員になってもおかしくないと思っているからだ。オウムの洗脳の中心であった石川公一が率いていた法皇官房と関係が深かったことは、常識であるし、私も色々と証言を聞いている。彼を教授においている中央大学には、文部科学省は我々の税金から補助金を出すべきではない。
中沢氏(一応敬称は付けますが)に対する批判というのは、
早くも1980年代から、仏教哲学の松本史朗氏や袴谷憲昭氏、チベット学の山口瑞鳳氏によってなされてきました。しかし、マスメディアに近いアカデミズムによってほとんど無視され、一般的な影響力はありませんでした。(なんせニューアカ(死語)の旗手でしたからね。)
その後に起こったのがあの一連のオウム事件です。
それによって反省するなり言い訳するならまだしも、
自己の責任を回避しつつその後も無責任な言説を「裏で」続けていました。(元オウム信者の高橋氏の手記等を参照:雑誌「宝島30」1996年2月号など)
それから10年あまり。
マスメディアにおいてもアカデミズムにおいても「批判」や「責任」という言葉が「空虚」であることに変わりはありません。
オウム事件は発生時点で早くも風化していました。