脱線した電車に乗り合わせた運転士二人が救出作業をせずに、そのまま歩いて勤務に出たことについて、色々なブログの意見をまとめたところからトラックバックをもらった。各ブログを読むと、当然、「とんでもない」という意見に混じって、運転士二人に同情的な意見も見られる。現在社会の一部を反映している意見に私には読める。同情的な意見は大きく分けて二つ、

A. 彼らは、医者でも、消防隊員でもないのだから、事故現場で行えることは限られているのだからしょうがない。

B. 事故の救出活動も考える余裕も無いぐらい職場に行かなきゃいけない程、厳しく、JR西日本に調教されてるんだから、しょうがない。

まず、Aについて、二つ反論がある。

1.「医者でも消防隊員でもないのだから」という論理だが、そんなことはない、運転士なら簡単な救急措置ぐらいは、当然訓練受けているはず。ただの一般客ではない、普段いつ事故が起きるか分からない電車を運転している運転士達だ。万が一、会社で組織的にそういう救急救助の訓練を受けていなかったとしても、それぞれが普段からそういう知識は身につけておくのが当然だ。運転士という職業についていながら、そのくらいの準備もしていなかったら、それだけで、人間失格だ。

2.「運転士に事故現場で行えることは限られている」という論理。とんでもない。万が一、彼らが救急医療のど素人だったとしても、事故現場に居合わせたのだ。救急車が来るよりも遙かに早く、救助作業にあたれたはずだ。救急医療での生死の分かれ目は、一分、一秒を争うだろう。やれたことは沢山あるはずだ。勿論、恐らく、先頭車両では、火災も発生していただろうから、消火作業なら彼らだってできたはずだ。まず、やれることがあるか否か、そういう確認さえもせずに、現場から逃げたこと自体が、人間として失格だ。

次にBについて、

B.会社から自分の電車に遅刻するなと厳しく躾けられているからしょうがないという論議。頭おかしいんじゃないか? 今回の事故のレベルはそんな甘えが許されるレベルと桁が違うぞ。事故のあった電車に乗っていたらなおさらそれを体感したはずだ。 例えば、ニューヨークでフェリーボートが転覆したときに、別な船の船長が二人たまたま乗り合わせたとしたら、溺れる乗客を無視して、勤務の船に間に合うように自分たちだけ、泳いでいなくなったらどうだ。勿論、米国社会は怒りまくるだろう。今回の脱線事故はこれと同じか、以上に悲惨な事故だ。事故列車に乗り合わせたということは、A-2で書いたように、救急隊員が到着するより遙かに早く、救出作業にあたれるということだ。道路上ではない、列車事故で救急隊が来るのに時間がかかるのは当然だ。事故現場にいて、最低でも、救急隊が来るまででも、救出作業をせずに勤務に戻るなどというのは、それだけで人間失格。大体、遅刻厳禁の勤務で、違反すればクビと躾けられていたので、そちらを優先したというのなら、まさに、他人の命より、自分の職の安定を選択したということだ。こういう発想も人間失格だ。

自分に関係のないことなら、別に他人が目の前で事故や不幸にあっても、手をさしのべなくてもいいというような風潮が、社会一般に広まっているのを、普段も、肌でひしひしと感じている。こういう事故の時だからこそ、そのような意見を社会は決して許してはいけないぞ。マスコミがテレビで報じているからって、テレビの向こうのバーチャルな出来事ではないのだ。リアルな100人以上亡くなった大事故だぞ。

まことしやかに、ど無責任な発言する人いるんだなあ、これが、ブログ文化か、と思った人もクリック!→