ブログは実名で公開すべきか、ハンドルネームなどの虚名でもいいかという質問を最近受ける。どちらにするのも個人の自由だろう。ただ、実名でブログを公開する勇気のない人は、ただの臆病者か、無責任な人間だと思う。日本の新聞に署名記事が少ないのは、いろいろな言い訳を聞くが、本来ジャーナリズムのあり方として間違っていると思うのと同様だ。

ジャーナリズムは、「私」を消して、まったく第三者の空気のような立場から書くべきというような意見も聞くが、私は、間違っていると思う。世界そのものの認識が、「私」という個人の脳によるものである以上、どのように客観性を維持しようとしても、個人の知識、思想、経験が認識そのものを造っているのだから、それは不可能である。勿論、そういう現実の捉え方のバラエティが反映された意見があることこそ、望ましいのが、民主社会だ。

だからこそ、その意見を言うものの最低限のマナーと責任として、自分が誰であるかを明かす義務があると思っている。どうも、大ジャーナリズムの人たちは、個人の記者が危険だとか、(朝日大阪の例などだろう)、会社が個人としての情報発信を禁じてるとか、いろいろな言い訳をして、新聞や放送におけるジャーナリストの匿名性や、ブログでの匿名での発信を擁護しがちだ。私は、それは間違っていると思う。会社がブログを禁じているとしたら、それは、職業上の秘密保持等の理由だろう。そんなことは、最初から当たり前だ。そういうことに抵触しないのに、会社が禁じているとしたら、そんな憲法も守れないような会社は辞めてしまえ。

 従って、私自身は、どんな理由があっても、匿名のブログは全く評価しない。自分の発言を自分が誰だか明かすという最低限の勇気のない人は相手にする時間がもったいない。

これは、本ブログのトラックバックやコメントについても同様だ。コメントにしても、トラックバックにしても、匿名のものを相手にするのは、私も私のブログの読者も、貴重な時間がもったいない。

前に、コメント欄の書き込みの削除の基準について質問があったが、その時には、以下のように答えている。

「削除する基準は、まず、よくアダルト系サイトから来るのだが、本ブログの内容と何の関係もない、自分のサイトへの誘導を目的とした書き込み。また、明らかに、当該書き込みの内容と関係のないコメントもこれに含まれる。その他、本ブログの読者の役に立たないと思われる知的レベルの低いコメントも、気がつき次第削除する。こういったことを、書きたい人は、自分のブログを上げてそこに書くことをお勧めする。コメント内容が同調か否かは関係がない。本ブログでは、上品かつ、知的レベルの高いコメントをすること。そうでないものは削除する。」

勿論、これはその通りだが、実際問題としては、同調か否かが関係ないばかりでなく、上品か知的レベルが高いかもあまり関係がない。実際のところは、無責任なコメントは即削除と考えている。匿名というだけで、本質的に無責任だ。従って、匿名コメントは、見つけ次第削除している。ただ、ハンドルネームから、私が相手を特定できるものがかなりあり、これらは残してある。どうしても、社会的な理由などで、匿名でコメントをしたい人は、別途メールで、実名と連絡先を私にメールして欲しい。ただ、できれば、コメントや、トラックバックする人は、本文中で実名をしっかり記述して欲しい。そのくらいの責任感のある人たちが、集まっているブログとして育てて行きたいのだ。

匿名カルチャーは、ひとつのエンターテイメントとして、生き残るかも知れないけど、影響力のある発言の場の挑戦者としての役割は既に終わったとようなことを、ゴッド井上トシユキ君も言ってたなあ、西村君もことさら否定してなかったし、と思う人もクリック!→


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