今回の国際エニアグラム会議は、出席メンバーがなかなか揃っている。エニアグラムの大御所、A.H. Almaasのプリコンフェレンスレクチャーで始まり、キーノートスピーカは、神経心理学と精神医学の境界域で、attachment theoryという有名な理論で顕著な成果を上げているUCLA医学部のDan Siegel。著書でも有名な、Helen Palmerも講演をしていた。そして、なんと言っても、グルジェフ、ミルトン・エリクソンの伝統を現在代表するキャロル・エリクソンも、エリクソン派とNLPの両方からのエニアグラムへのインパクトの講演をしていた。

今回参加して、強く感じたのは、エニアグラムは、こういった大御所たちの間では、すでに、一般に思われているような、お手軽な性格分類のツールではなく、本気の心理臨床のツールであり、さらには、スピリチャル瞑想の方法論となっているということ。特に、スピリチャルな話をする人たちが多く、それも、皆さん、buddhist なアプローチをベースにしているという。 

で、どんなbuddhist論理かというと、たとえば、Helen Palmerの講演では、タイプ(エニアグラム的カテゴリゼーションとしてのタイプ)の脱構築ということをいっていた。deconstruction of (enneagram) typesだ。そして、スピリチャルなレベルの話として、you are observer of your thought であり、observerとは、witnessing consciousnessであるという話をしていた。また、彼女によれば、タイプ分類される自我は、スピリチュアルセルフである、witnessing consciousnessとは異なるものであり、この二つを統合していくのがエニアグラムの方法論だそうだ。 これは、スピリチャル論であり、かつ、心理臨床モデルだ。また、ego is container, quality of higher being come through the container.という言い方もしていた。いろいろ聞いてみて、ラフな印象は、“いわゆる西海岸的”な、健全なスピリチュアリティを追求する人たちのグループという感じだ。 

また、Dan Siegel は、エニアグラムで9つのタイプに分類される性格は、いってみれば、自我を束縛してきた人格形成の結果であり、生得的なものではない。また、これらの性格を変化させる、心理的な働きかけが、神経ネットワーク網に物理的な変化を与えることが神経心理学研究の最近の成果として、間違いないものとなってきた、同時に、神経回路における変化は必ず分子生物レベルで変化を伴うという話をしていた。gene changeという言い方をしていた。 

彼らの結論をHelen Palmer的にまとめると、タイプ分類される自我は、「空」というのが、現在のエニアグラムの大御所たちの共通な意見だ。Helen Palmer 自身は、マンハッタンで若い禅僧に出会って以来、ブッディストを20年以上やってこれに、気がついたそうだ。これは、日本では、エニアグラムは、血液型性格分析のような、西洋的なカテゴリぜーションの分析ツールと誤解されているところがあるので、彼らがはっきりと、こういう言い方をしているのは、日本のエニアグラムファンはしっかりと理解しておくべきだろう。

ただ、あまりに、たとえば、Helen Palmerの講演中などで、witnessing consciousness とか、spritual self という言葉が強調されているので、あたかも、そういう実在があるかのような誤解を与える発言にも聞こえたので、私としては、スピリチュアルセルフも空だよね、そう言ってくれないと、buddhistといわれても、困るなと思い、講演と講演の間に立ち話しながら(正確には歩き話しながら)、Helen Palmerに "Do you not think that the higher spiritual self is ku or empty?" と聞いてみた。そしたら、"Yes, it is empty, absolute empty, but has the capacity to oberve". というお答えを、さらっと、しながら颯爽とトイレに消えた。なるほど、トイレに行きたいから、歩きながら話そうと提案してきたのだったか。

まさに、朝飯前というか、朝ション前で、自ら語るハイヤースピリチャルセルフについて、明快にそれは、完全「空」absolute empty と言い切り、空観を披露し、返す刀で、だけど、observeするという能力(機能)があるのよ、と、中観を当たり前のように、断言する。そこまで、悟ったか。身心脱落、お見事。

まさに、Helen Palmerの言っていることは、中観だ。エニアグラム軍団恐るべし、というか、西洋的分析手法の代表みたいに思われてきたエニアグラムも、ついにはここに来たか、という新鮮な驚きを受けた。もちろん、私にそう突っ込まれたのも、影響してか、その後の講演では、彼女は、witnessing consciousness is absolutely empty と強調していた。

エニアグラムの9タイプ分類の現在の大御所たちの見方は、即ちこうなる。エニアグラム分類される対象である自我が、いわゆる一般アメリカ人の捕らえられているego で、その自己分析を、徹底的にエニアグラムを使いこなすまで訓練する。これは、則ち、仮観だ。

ただし、そのego は、スピリチャルセルフ(ハイアーセルフ)である、witnessing consciousnessにobserveされている対象にすぎない。もしくは、エニアグラムカテゴリそのものが、ego を束縛するカテゴリゼーションにすぎない。本来は、生得的因子としての、エニアグラムタイプというのは、想定しえない。分子生物学的にもそう報告されている。ego の経験が、自らつくりだした、カテゴリにすぎないのがエニアグラムタイプで定義できるようなパーソナリティ=性格である。従って、当然、これを脱構築することは、可能である。脱構築可能なのは、その性格を持ったegoは、スピリチャルセルフに observe されている対象にすぎないからだ。

また、さらに、エニアグラム瞑想を行うことによって、スピリチャルセルフそのものも、absolutely empty であることが、分かる。空観である。 ただし、そのabsolutely empty なスピリチャルセルフは、witnessing consciouness であり、observe するという機能を持っている。だからこそ、パーソナリティが生み出されるのである。こういう主張として、理解することができる。

これは、まさしく中観である。確かに、彼らは、buddhist だ。それも、日本の一般のお寺のお坊さんより遙かに buddhist 哲学を追究している。葬式で食っている日本の多くのお坊さんは、なかなか、檀家さんに、あなたの霊は「空」ですよ。実在しませんよ。あなたの、ご先祖様の霊も実在しないのですよ。absolute empty ですよと、当たり前のように、断言する勇気のある人は少ないだろう。スピリチュアリティというセッションで、ハイヤーセルフについて語るHelen Palmer は、はっきり、自分で語っている、ハイヤーセルフ=スピリチャルセルフについて、当たり前のように、即答で、absolute empty とはっきり答えてくれた。

 

そして、日本のエニアグラムの“権威”の皆さん、エニアグラムのカテゴリも、空ですよ。お忘れなく。

エニアグラムにどういう立場をとるかは別として、エニアグラムという心理学の一分野を生み出し、育ててきた学者や臨床家たち本人たちと、当たり前のように、文字通り膝を交えて、ディスカッションができるというのは、やはり、学問を生み、育てる土壌のある、アメリカだなあと強く感じた今日一日であった。また、ひさしぶりに、キャロル・エリクソンと親しく話しができたのも、嬉しく、懐かしかった。

 

ところで、こう書いて、読み返してみると、エニアグラムって、「止観」だよね。少なくとも、現在の大御所たちが語っているエニアグラムは。

 

あと、行きのJAL002便の件、JAL幹部某氏から丁寧なメールを頂いた。本当は、ここで、披露したいような内容なのだが、私信なので、控えるけど。ただ、たまにはANAも乗ってみてくださいということだったので、たまにはANAも体験してみるね。