今月のクラスでカバーされている『英語脳』プログラムの話題が特に興味を集めているようで、その後も質問が続いています。現在、海外出張中で個別の返答が難しいこともあり、ここに、雑感をまとめてみます。まず、11月3日に書きましたが、クリティカルエージという問題があります。これは言語運用能力に限らず、あらゆる機能に生得的にある学習のクリティカル期間の問題です。過去に、生後間もない子猫に特定の短期間光を遮断しただけで、そのまま一生視覚能力を失ったという、現在では、倫理委員会が認めないような実験がされた時代から知られている現象です。言語運用能力では、音素、音韻、統語、意味論、語用論のようなそれぞれ言語空間次元の異なるゲシュタルト学習にクリティカルエージ現象が神経回路網の数理実験などを通して確認されます。

ただ、頂いた質問に誤解があるように思われるのは、そこで、私が幼児期からのバイリンガル教育を勧めていると思われている点です。それは必ずしも正しくありません。これは後に少し書きますが、例えば、英語と日本語では語彙のレベルから既に言語空間が異なるため、それぞれの学習がある程度固定化、つまりクリティカル期間を過ぎるまでは、環境によってはバイリンガル状況がそれぞれの母国語の言語空間を未熟にする可能性もあるからです。例えば、アメリカンスクールなどで育ち、英語の運用能力が日本人からみるとネーティブ並みになった一方、日本語の運用能力に問題のある子供達の例も知られていますが、これは、まさに、語彙空間で代表される言語空間が言語毎に独立していないという問題です。こういう子たちの場合は英語の運用能力も英語のネーティブスピーカからみると問題がある可能性があります。

『英語脳』プログラムの基本的な立場は、母国語の運用能力が完成した成人になってから、更に多言語をネーティブ化して学習するのがもっとも望ましいという立場でもあります。もちろん、理想的な環境で多国語を母国語として習得し、さらにそれぞれの言語空間がしっかりとネーティブとして完成しているという恵まれた環境にいる人を否定するわけではありませんが、このような人はもともと、英語学習に興味があるわけではないでしょう。

11月3日も書きましたが、クリティカルエージ問題を無視しての英語教育法が効果をあげる可能性を否定しているわけではないですが、私がこれまで、1980年代からずっとこの分野の研究を続けてきた経験では、現実問題として、そのような英語教育法というのは有効な方法論として存在し得るとは考えていません。逆に英語の学習に、日本語の構造を持ち込むなどして学習の障害になっているとしか思えないプログラムが圧倒的多数です。可能性があるとすれば、米国の研究機関などで行われている機能的なクリティカルエージの克服プログラムが外国語学習に応用された場合のケースですが、その場合は、まさに、本『英語脳』プログラムと同様な考え方であり、当然、効果も肯定せざるを得ませんが、ただひとつ、問題があるとすれば、米国でうまくいっているこういったプログラムは、印度ヨーロッパ語族に属するような言語間での学習に限られるようなプログラムが多いということです。

例えば、日本語は、ヘッドファイナル言語であり、英語はヘッドイニシャル言語です。ヘッドとは、動詞句なら動詞、名詞句なら名詞などの、統語的な部分の一番重要な部分を指しますが、こういった根本的な統語論パラメターの違いで代表されるように、単純なクリティカルエージに対する働きかけのみでは、『英語脳』の実現は厳しいと考えています。また、語彙に関しても、例えば、英語の"mountain"と日本語の『山』は、それなりに異なる概念にそれぞれつけられた表層(形態素列)です。もちろん、更に抽象度の高い概念だとかなり異なるでしょう。こういった語彙空間を包摂した言語空間は、英語と日本語では大分異なります。

『英語脳』プログラムでは、母国語の語彙空間とは別に、効率的に外国語の語彙空間を、そして、言語空間を、音素、音韻、統語論、意味論、語用論レベルで構築するプログラムとクリティカルエージに対する働きかけが、ワンセットとなったプログラムです。その意味でも、成人して、母国語運用能力が完成した人に特に有効なプログラムです。