c438d86b.jpg来日中のデスコト国連総会議長(ニカラグア)とニカラグア文化センターでお会いした。各国の大使がニカラグア文化センターに招かれたのに合わせて私も関係者に招いて頂いた。

デスコト議長は、カトリックの神父でもある。議長の来日の目的は、8月6日、9日の原爆の日に広島・長崎に出向いて、国連を代表して謝罪をしたいからだと、居合わせた各国大使や私達に語った。また、キリスト教徒を代表して謝罪をしたいとも語った。

キリスト教徒を代表して謝罪をしたいというのは、原爆を投下した爆撃機エノラゲイの機長がカトリック信徒であったことがまずあるそうだ。機長はカトリックであるにも関わらず、自分の良心ではなく、上からの命令で行動したからだという。また、これは機長個人のことではなく、当時のカトリックでは、個人の良心よりも疑いを持たずに従うことが重要だと教えていたのであり、これを謝罪したいということだった。

更に重要な理由は、これは、私には初耳であったが、エノラゲイには、公表されている12名の軍人乗組員以外に、13人目の乗員がいたということだ。

その知られていなかった乗員は、アメリカカトリック教会の神父が一人乗機していたということだ。これは長年知られていなかったことだ。議長が「アメリカ」カトリック教会と強調して言われた口調には必ずしも当時のバチカンが同調していた訳ではないというニュアンスを感じた。

 私の知識不足かも知れないが、このことは、一度も公表されていなかった極秘だったのではないだろうか? だとすると大変な発言だ。このことを、明かすために、国連総会議長最後の年に、原爆の日に合わせて来日されたのではないかと思った。

これは、国連総会議長だからこそ、また、ご自身がカトリック教会の幹部神父だからこそ、54年たった今、明かせるということなのだろう。もちろん、カトリックローマ教会のお墨付きで、事実を明かすべきとなったのだろう。私は、このような判断をしたローマ教会を高く評価する。また、それを日本で、各国からの大使(もちろん日本からも外務省の幹部が出席していた)列席の場で公けにしたことは、大変意義のあることだと思う。もちろん、死刑の場に神父が同席するように、神父がエノラゲイに乗機し原爆投下に立ち会うという判断をした当時のアメリカカトリック教会の考え方は、理解可能だし、また、たとえ神父が乗機していなかったとしても、原爆投下は免れなかっただろう。

ただ、デスコト神父は、当時のカトリック教会では、神父も自己の良心よりも、命令に従うことが優先されていたのであり、それが、エノラゲイに神父が乗機していたことにつながり、また、カトリック教会が原爆投下に関与したことになるのであり、これを深く謝罪すると言われていた。

アメリカカトリック教会の神父がエノラゲイに乗機していたのは、機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるようにという配慮だったそうだ。 言ってみれば、アメリカで死刑執行の場に神父や牧師が立ち会うのと同様の論理だったのだろう。また、私の著書、『洗脳護身術』や『洗脳』などでも書いたが、2003年3月下旬に始まったイラク戦争が米国で24時間CNNやFOXなどで流れ続けていた時に、戦車隊に常に牧師が一緒について行動して、何時間おきかの休憩ごとに、戦車の横に集まってお祈りをしていたシーンが何度も流れていたことを思い出した。

アメリカのような民主国家で育った軍人は、恐らく、宗教の後ろだてがなければ、良心で、大量殺戮はできないということだ。それを、当時のカトリック教会は手伝ってしまったということを、広島・長崎の人たちに謝りたいというのが、今回のデスコト国連総会議長の本心だということが、今回のニカラグア文化センターでの議長の真摯な態度から強く感じた。 

このような発言をする判断をしたカトリック教会に深く、敬意を表したい。もちろん、何といっても、そのような発言をされたデスコト議長には、深く、深く、敬意を表する。

写真右がデスコト議長、中央はニカラグア大使。