THEOREM 27 · SYNOPTIC COMMENTARY · JAPANESE

空から縁起へ

定理27(無明起行定理)「無明起行定理」総括解説――定理24(一切皆苦定理)・定理26(涅槃寂静定理)・定理27(無明起行定理)を貫く動的寂静の数理

苫米地 英人 · 2026年8月10日

Cognitive Research Laboratories, Tokyo / CyLab, Carnegie Mellon University / C5I Center, George Mason University

概要

悟りによって宇宙が新たに「空」へ変化するのではない。世界は、悟っているか否かにかかわらず、すでに空である。変わるのは、世界の縁起的・非自性的なあり方ではなく、それを捉える認知的視座である。本稿は、大乗・日本密教に即して「完成点から全体を見る」読解と、初期仏教の縁起説に即して「条件づけられた人間の側から苦の生起と止滅をたどる」読解を、定理24(一切皆苦定理)・定理26(涅槃寂静定理)・定理27(無明起行定理)が本モデル内で共有する一つの形式構造として総括する。

条件24-Aは、空未満の永久零苦不能を仮定する。軌道評価のLebesgue可測性、各初期対における有限コスト方策の存在、および最小値を達成する最適方策の存在を加えると、定理24(一切皆苦定理)は、最適化後にも正かつ有限の残余価値が残ることを導く。定理26(涅槃寂静定理)は、条件26-Aで仮定された最高抽象度 (空)の零残余集合族への指数的接近と、集合内で生命活動を維持したまま零残余価値が保たれることを示す。定理27(無明起行定理)は、その集合の外にある状態を操作的無明と定義し、厳密なLyapunov残差下降を導く。さらに条件27-Aのもとでは、最高抽象度の指定閉ループ上でLebesgueほとんどすべての時刻に、その下降を実アクチュエータを介する非零のモデル相対的な志向的形成作用へ帰属させる。したがって、明示したモデルの範囲では、空における動的寂静の数理と十二縁起冒頭の avijjāpaccayā saṅkhārā は、本モデル内の共通の形式構造上で接続される。

1. 「すべては空」の厳密な意味

「空」は、悟った者にだけ世界が無として見えるという意味ではない。空とは、あらゆる存在・経験・関係が、他から独立した固定的自性をもたず、縁起的に成立しているという構造である。

悟っていない者には宇宙が空として見えないかもしれない。しかし、その認識主体そのものも空である。生命も空であり、存在も空であり、苦も空であり、苦を滅する働きも空である。ここで「苦が空である」とは、経験上の苦やその因果的効果を否定することではない。「苦滅が空である」とは、苦滅の可能性を否定することでもない。苦と苦滅の双方を、独立不変の実体として実体化しないということである。

ここでいう「仏陀側から宇宙を見る」は、既成の仏教学術語ではなく、本稿の解釈表現である。般若・中観的な読解に即して言えば、空を一つの対象として外から眺めることではない。すべてが縁起的・非自性的であることを、悟りの視座から捉え、宇宙と生命の全体を読むことである。本体系では、その視座を抽象度束 𝕃 の最大元 に対応づけ、「空」と解釈する。

空と零苦集合は同じものではない

は最高抽象度という型であり、𝒩(t) はその型の内部に定義される零残余苦価値集合族である。したがって、「空にある」ことと「涅槃寂静が実現している」ことを無条件に同一視してはならない。定理26(涅槃寂静定理)が必要とするのは、a=⊤ に加え、現在状態が 𝒩(t) に属することである。

図4 空と零残余苦価値集合族は同じものではない。前者は最高抽象度という型であり、後者はその型の内部に定義される集合族である。定理26(涅槃寂静定理)が必要とするのは、型が最高抽象度であることに加えて、現在状態がその集合に属することである。

2. 一つの縁起的宇宙を読む二つの方向

本稿が比較する限られた接続点では、大乗仏教、とりわけ日本密教に即した読解と、初期仏教の縁起説に即した読解を、互いに排他的な二つの宇宙論として扱わない。両者を、同一のモデルを異なる視座と方向から記述する二つの解釈として配置する。

同一構造に対する二つの記述方向
記述の視座出発点と方向本体系での表現
本稿が採る大乗・日本密教的読解完成点から宇宙と生命を俯瞰する。すべてはすでに空であり、苦も苦滅も空の例外ではない。最高抽象度 からの上位記述。定理26(涅槃寂静定理)は、空における生きた動的寂静をモデル化する。
本稿が採る初期仏教的読解条件づけられた人間の経験から出発し、無常・苦・無我を観じ、苦の止滅へ向かう。本体系では定理23(諸行無常定理)、定理24(一切皆苦定理)、定理25(諸法無我定理)、定理26(涅槃寂静定理)を下から上へ読む経路。
接続苦の生起系列をたどる順観と、条件の止滅系列をたどる還滅観(逆観)。定理27(無明起行定理)が、十二縁起の最初の一関係を定理24(一切皆苦定理)・定理26(涅槃寂静定理)へ接続する。

この上昇系列は、本体系における定理23(諸行無常定理)〜定理26(涅槃寂静定理)の形式的配列であり、初期仏教資料が歴史的にこれらをこの四段階として体系化していたと主張するものではない。

十二縁起は、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死という十二項目の一覧にとどまらない。順観は、条件が成立すると苦蘊全体がどのように生成するかを見る。還滅観(しばしば逆観と呼ばれる)は、十二項目を単に後ろから読み上げることではなく、無明の滅により行が滅し、以下の条件系列を通じて老死と苦蘊全体の滅に至ることを見る。十二縁起は教理命題であると同時に、苦の生起と止滅を観察する実践的・瞑想的枠組みとして理解できる。

伝承上の位置づけ

『ウダーナ』1.1–1.3は、成道後の仏陀が、縁起の生起系列、止滅系列、そしてその双方を観察したと伝える。これは、本稿が採る瞑想的読解を支える正典上の一根拠である。ただし、十二縁起をこの読解だけに限定するものではない。

図1 一つの縁起的宇宙を読む二つの方向。上は完成点から全体を俯瞰する記述、下は条件づけられた側から苦の生起と止滅をたどる記述であり、両者は同一の形式構造を異なる視座と方向から捉えている。定理27(無明起行定理)がこの二方向を接続する。

3. 定理24(一切皆苦定理)――空未満に残る構造的非充足性

抽象度 a∈𝕃 における非負評価を Va(x,t)≥0 とし、割引無限地平の最適残余価値を次で定義する。

Ja,ρ*(x,T):=
minπ∈Pola(x,T)T e−ρ(t−T) Va(xx,Tπ(t),t) dt,
xx,Tπ(T)=x, ρ>0. (24.1)

軌道上の評価はLebesgue可測であり、各 (a,x,T) に少なくとも一つの有限コスト方策が存在し、最小値を達成する最適方策が存在すると仮定する。したがって 0≤Ja,ρ*(x,T)<∞ である。

条件24-Aは、空未満では、どの許容方策も Va=0 をLebesgueほとんど至る所で永久に保てないことを要求する。

∀a≺⊤, ∀x∈Xa, ∀T≥0:
∄π∈Pola(x,T):
Va(xx,Tπ(t),t)=0
(Lebesgueほとんどすべての t≥T). (24.A)

条件24-Aと上記の可測性・有限コスト・最適値達成の仮定のもとでは、非負可測関数の積分が零なら被積分関数もほとんど至る所で零であることから、次が従う。

a≺⊤ ∧ 条件24-A ⇒ 0<Ja,ρ*(x,T)<∞. (24.2)
「一切皆苦」の操作的意味

これは「すべての者が毎瞬、主観的な痛みを感じる」という命題ではない。また、全状態に共通する一様な正の下界も主張しない。空未満の各固定初期条件では、どれほど最適化しても永久零苦を実現できず、正の残余コストが残るという構造的非充足性である。

4. 定理26(涅槃寂静定理)――空における動的寂静

最高抽象度 では、脳・身体を含む完全状態のうち生命活動が維持される前向き不変集合を alive⊂X とする。すべての初期対 (x,T)∈ℬalive×[0,∞) で同時に最適な単一のBorel可測Markovフィードバック π0 のもとで、零残余苦価値集合族を

𝒩(T):=ℬalive∩{x | J⊤,ρ*(x,T)=0} (26.1)

と定める。最新版Mini13における定理26(涅槃寂静定理)の条件は、三つの別条件ではなく、単一の条件26-A(零苦集合と安定性)である。定理26(涅槃寂静定理)の常設仮定と条件26-Aを合わせると、指定閉ループの前方完全性、alive の前向き不変性、各 𝒩(t) の非空性・閉性と集合族の前向き不変性が要請される。条件26-Aは、さらに次の三式を含む。

c1dist(x,𝒩(t))2≤W(x,t)≤c2dist(x,𝒩(t))2 (26.A)
Dt+W(x(t),t)≤−λW(x(t),t), λ>0 (26.B)
0≤J⊤,ρ*(x,t)≤ω(dist(x,𝒩(t))),
ω:[0,∞)→[0,∞) は連続増加, ω(0)=0. (26.C)

式(26.A)・(26.C)はすべての x∈ℬalive, t≥0 について成立し、式(26.B)は指定閉ループ π0 の全軌道上で成立する。式(26.A)はLyapunov残差 W を、集合への距離の二乗の正定数倍の間に挟む。式(26.B)は指数上界を与え、W>0 の間は厳密下降を与える。式(26.C)は、集合への距離が零へ近づけば最適残余価値も零へ近づくことを保証する。したがって、任意の T≥0x(T)=xT∈ℬalivet≥T について、Grönwall不等式により、

W(x(t),t)≤W(x(T),T)e−λ(t−T),
dist(x(t),𝒩(t))≤√(W(x(T),T)/c1)e−λ(t−T)/2→0. (26.2)

この結論は一般には漸近接近であり、有限時間内の到達を意味しない。しかし開始状態がすでに 𝒩(T) に属するなら、前向き不変性により、生命活動を維持したまま零残余価値が全時刻で保たれる。条件24-A、定理26(涅槃寂静定理)の常設仮定、および条件26-Aのもとで、型付き永久零苦命題 PZS(a,x,T) を用いれば、定理24(一切皆苦定理)と26の接続は次の一式になる。

∀T≥0:
[∀a≺⊤, ∀x∈Xa: ¬PZS(a,x,T)] ∧
[∀x∈ℬalive: PZS(⊤,x,T)⇔x∈𝒩(T)]. (26.3)
永久的苦滅の型付き境界

型付き領域 𝔛27:=(⊔a≺⊤({a}×Xa))⊔({⊤}×ℬalive) において、

∀T≥0, ∀(a,x)∈𝔛27:
PZS(a,x,T) ⇔ [a=⊤ ∧ x∈𝒩(T)]

この同値は、式(26.3)の型付き領域および条件24-A・定理26(涅槃寂静定理)の常設仮定・条件26-Aのもとでの「永久的苦滅」の最小形式である。

𝒩(T)⊂ℬalive は定義に組み込まれている。したがって x∈ℬalive を併記することは「生きたまま」を強調するうえで有用だが、論理的には冗長である。また、𝒩(T) の非空性は式(26.A)単独から導かれるのではなく、条件26-Aで明示的に仮定される。

5. 「煩悩の消滅」と VJ、即身成仏

涅槃寂静は、しばしば「煩悩の炎が消え去ったために静かで安らかな心境」と説明される。しかし、この比喩を、評価写像を全領域で恒等零にする V(·,·)≡0 と同一視したり、さらに評価機構そのものの停止・削除と読んだりすれば、本体系の数理を取り違える。

区別すべき三つの「零」
表現意味本体系での位置
V(·,·)≡0評価写像を全領域で恒等零にする、または評価機構自体を削除する。定理26(涅槃寂静定理)は要求しない。評価過程を削除すれば、定理1(苫米地主定理)〜定理4(苫米地臨場感加重定理)の V 駆動閉ループというモデル構造を失う。
V(x(t),t)=0 a.e.作動中の評価写像が、指定された零コスト軌道上でほとんど至る所、零を返す。V≥0 と最適値の達成のもとで、𝒩 内の指定軌道に成立する。
J⊤,ρ*(x,T)=0将来にわたる割引最適残余価値が零である。定理26(涅槃寂静定理)の中心。𝒩(T) への所属を定義する。

定理26(涅槃寂静定理)で零になるのは、評価機構の存在ではなく、最適残余価値である。正確には、x(T)∈𝒩(T) から始まる指定方策 π0 の軌道について、非負性と最適値達成により、

J⊤,ρ*(x(t),t)=0 (すべての t≥T),
V(x(t),t)=0 (Lebesgueほとんどすべての t≥T).

一方、集合外から始まる一般軌道について定理26(涅槃寂静定理)が示すのは J⊤,ρ*(x(t),t)→0 であり、途中時刻から V=0 がほとんど至る所成立することではない。それでも、評価写像 V と最適フィードバック π0 は定義され、作動しうる。動的寂静とは、評価系の削除ではなく、作動中の閉ループのもとで零残余集合への前向き不変な所属が保たれることである。

同時に、身体・脳・環境・物理エントロピーは、定理23(諸行無常定理)と整合するかたちで無常のまま変化し続けうる。ゆえに涅槃寂静は物理的静止ではない。本稿が即身成仏に対応づける最小の数理的可能性条件は、

a=⊤ ∧ x∈𝒩(T)

である。これは「評価の炎を消して生命制御を停止する」ことではなく、生命を含む完全状態が、空における零残余価値不変集合に属し続けることである。本稿では、この生きた動的寂静を、日本密教の即身成仏観と形式的に整合するものとして読むことのできる「空」の数理モデルとして解釈する。

この解釈は先行定理とも連結する。評価 V は定理1(苫米地主定理)〜定理4(苫米地臨場感加重定理)の制御核であり、定理24(一切皆苦定理)の残余の源である。他方、J⊤,ρ*=0 は、定理19(苫米地自由意思定理)の fi(⊤)=1、定理22(高高度LUB臨場感定理)の空へ開かれた包摂はしご、定理24(一切皆苦定理)の空未満の正残余、定理25(諸法無我定理)の による非個体化と整合し、定理23(諸行無常定理)の無常とも矛盾しない。

図2 区別すべき三つの「零」。左は評価写像そのものを消すこと、中央は作動中の評価が指定軌道上でほとんど至る所 零を返すこと、右は将来にわたる割引最適残余価値が零であること。定理26(涅槃寂静定理)で零になるのは右であり、左ではない。

6. 定理27(無明起行定理)――動的寂静から「無明に縁りて行があり」へ

定理27(無明起行定理)が厳密に証明するのは、パーリ語原典上の無明と行の全語義そのものではなく、それらを明示したモデルへ写像した後の条件関係である。型の混同を避けるため、まず定義域を固定する。

原典語義とモデル述語の区別

SN 12.2では avijjā は苦・苦の生起・苦の滅・滅に至る道を知らないこととして説明される。また同経は三種の行、すなわち身体的な行・言語的な行・心的な行を挙げる。本定理は両語の原典上の全語義を、集合非所属や一つの制御成分へ還元しない。以下の Avijjā27 は型付き操作的無明、Saṅkhārā27 は指定閉ループ上で実アクチュエータを介する無明条件付き寄与という、限定されたモデル述語である。

𝔛27:=(⊔a≺⊤({a}×Xa))⊔({⊤}×ℬalive).

任意の (a,x)∈𝔛27T≥0 について、型付き操作的無明を、永久零苦を保つ許容方策が存在しないこととして定義する。

Avijjā27(a,x,T):⇔¬PZS(a,x,T). (27.1)

定理24(一切皆苦定理)と26を合成すると、

Avijjā27(a,x,T)⇔[a≺⊤]∨[a=⊤∧x∉𝒩(T)] (27.2)

となる。定理24(一切皆苦定理)と条件24-Aが担うのは、このうち空未満の枝である。最高抽象度では、Lyapunov無明残差を式(27.3)、残差下降率を式(27.4)として、Ign27:=WDes27:=−Dt+W とすると、定理26(涅槃寂静定理)の常設仮定、軌道上の t↦W(x(t),t) に対する局所Lipschitz正則性、および単一の条件26-Aに含まれる式(26.A)・(26.B)から、

Avijjā27(⊤,x(t),t)
⇒Des27(t)≥λIgn27(x(t),t)
≥λc1dist(x(t),𝒩(t))2>0. (27.6)

が従う。ここで直接証明されるのは、寂静未達時の厳密なLyapunov残差下降である。しかし、この下降だけでは自然ドリフトと主体の入力を区別できない。自然な力学だけで残差が下がる反例が存在するからである。

そこで条件27-Aは、同一の自然ドリフト f0 と同一の実アクチュエータ G のもとで、指定入力 u0 と独立に固定した基準入力 utr を分離する。utru0 と同じ入力空間に値を取る許容フィードバックである。併せて、WC1 正則性、軌道の絶対連続性、その軌道が閉ループ方程式をLebesgueほとんど至る所で満たすこと、および 27 の可測性と有限値性を仮定する。

ẋ=f0(x,t)+G(x,t)u, u0(t,x):=π0(t,x) (27.A1)
η27(t,x):=u0(t,x)−utr(t,x),
Ftr(x,t):=f0(x,t)+G(x,t)utr(t,x),
tW+∇xWTFtr=0. (27.A2)

最後の基準場恒等式(27.A2)は、対象軌道を含む近傍で成立すると仮定する。

そのうえで、本モデルにおける志向的形成作用を、無明残差の下降へ正に寄与する実アクチュエータ成分として定義する。

Saṅkhārā27(x(t),t):⇔
−∇xW(x(t),t)TG(x(t),t)η27(t,x(t))>0. (27.5)

すると、最高抽象度の指定閉ループ上で、第一の同値は全時刻、第二の同値は条件27-AのもとでLebesgueほとんどすべての時刻に成立する。

Avijjā27(⊤,x(t),t)⇔Des27(t)>0,
Avijjā27(⊤,x(t),t)⇔Saṅkhārā27(x(t),t) (a.e., 条件27-A). (27.10)
証明された方向

本定理は「無明だから寂静から遠ざかる」とは証明しない。指定最適方策のもとで、寂静未達残差が零へ向かって下降し、その下降に実アクチュエータ上の非零の志向信号が寄与することを証明する。また寂静集合内で零になるのは、無明に条件づけられた正の横断寄与である。生命維持、評価、思考、他者への応答、自由意思容量、集合内の接線運動、または G の核方向の入力までが消えるわけではない。

7. 定理24(一切皆苦定理)・定理26(涅槃寂静定理)・定理27(無明起行定理)の型付き総合構造

図3 型と状態による三分。三つの場合は排他的で、型付き領域 𝔛27 をちょうど覆う。定理24(一切皆苦定理)は第一の箱、定理26(涅槃寂静定理)と27は第二・第三の箱を担う。
定理24(一切皆苦定理)条件24-Aが空未満の永久零苦を排除し、可測性・有限コスト・最適値達成の仮定のもとで正かつ有限の最適残余価値が従う。
a≺⊤∧24-A⇒¬PZS ∧ 0<J*<∞
定理26(涅槃寂静定理)条件26-Aのもとで、 に零残余不変集合とLyapunov下降。
x∉𝒩⇒−D+W>0
条件27-A+定理27(無明起行定理)最高抽象度の指定閉ループ上で、下降を実アクチュエータを介する志向作用へ帰属。
Avijjā27(⊤,x(t),t)⇔Saṅkhārā27(x(t),t) a.e.

これは型付き全体像の総合図であり、三者が直列に依存する証明図ではない。定理24(一切皆苦定理)は空未満の枝を担い、最高抽象度の同値は定理26(涅槃寂静定理)・正則性・条件27-Aから従う。

型と状態による三分
型・状態形式的結論解釈
a≺⊤条件24-Aにより ¬PZS。さらに可測性・有限コスト・最適値達成の仮定のもとで 0<Ja,ρ*<∞空未満の構造的非充足性。型付き操作的無明の空未満の枝。
a=⊤, x∉𝒩(t)Avijjā27、正の残差下降。最高抽象度の指定閉ループ上で、条件27-Aのもとa.e.に Saṅkhārā27寂静未達から、残差を減少させる非零の志向的形成作用へ。
a=⊤, x∈𝒩(t)集合への所属が前向き不変であり、J⊤,ρ*=0 が保たれる。条件27-Aのもと、無明条件付きの実アクチュエータ正寄与はa.e.に零。生命活動・無常・関係的行為を保った動的寂静。

7.1 零残余苦価値集合族の非実体性

型付き総合構造に関連して、一つの文献学的論点を数理の側から扱っておく。『ダンマパダ』279 の sabbe dhammā anattā(諸法無我)が涅槃をも無我の範囲に含めるか、という問いである。上座部の注釈『ダンマパダ・アッタカター』は、当該偈の「一切の法」を欲界・色界・無色界・出世間の四階層として説明し、出世間すなわち涅槃を含む階層を無我の範囲に置く。他方、sabbe saṅkhārā anattā(一切行無我)という異読の可能性も指摘されるが、現存写本および注釈伝統の主流ではなく、パーリ聖典協会版をはじめとする標準的校訂本は sabbe dhammā anattā を採る。

本体系においては、この問いは解釈ではなく定義から決する。零残余苦価値集合族は (26.1) によって導入されるが、この定義は次の三点で実体化を許さない。

第一に、関係依存性。𝒩 は評価 V、割引率 ρ、生命維持集合 alive、および最適化構造との関係によってのみ規定される。これらを外したとき、定義そのものが失われる。第二に、時間依存性。𝒩(T) は時刻 T に依存する集合族であり、単一の固定した対象ではない。第三に、非個体性。𝒩 は点ではなく集合であって、定理25(諸法無我定理)が否定する「関係から切り離された点としての実体」という形式をそもそも取らない。

したがって、本体系の内部では涅槃寂静もまた定理25(諸法無我定理)の射程に含まれる。すなわち本体系は上掲の注釈伝統の読みと整合する。ただし、この結論は異読の採否に依存しない。異読を採って無我の範囲を行に限定したとしても、𝒩 の非実体性は上の三点から独立に従うからである。本項は本モデル内部の性質を述べるものであって、パーリ聖典の校訂上の争点を裁定するものではない。

説一切有部系の並行伝承との対応。『雑阿含経』(大正蔵 T99)に見られる「一切行無常・一切法無我・涅槃寂滅」の三句は、無常を行に、無我を法に配し、涅槃については否定形ではなく肯定的性質を述べる点に特徴がある。本体系の分節はこれに対応する。定理23(諸行無常定理)は軌道の非回帰として行の水準を、定理25(諸法無我定理)は関係構造として法の水準を扱い、定理26(涅槃寂静定理)は苦の欠如としてではなく零残余価値不変集合への所属という肯定的条件として述べられる。さらに、涅槃を苦の枠組みで語ることの困難は、本体系では型が解消している。定理24(一切皆苦定理)の前提は a ≺ ⊤ であって涅槃には適用されず、a = ⊤ かつ x ∈ 𝒩(T) では J*⊤,ρ = 0 である。両者は同一の対象について競合する主張ではなく、型と状態により排他的に分割された領域を担う。

典拠:『ダンマパダ』277–279(パーリ本文)、『ダンマパダ・アッタカター』279偈註、『雑阿含経』大正蔵 T99。四法印としての四項定式は、無常・苦・無我の三句と、説一切有部系における涅槃寂滅を重んじる姿勢との合流に由来し、パーリ三句そのものには現れない。

図5 定理24(一切皆苦定理)・定理26(涅槃寂静定理)・定理27(無明起行定理)の依存関係。これは型付き全体像の総合図であって、三者が直列に依存する証明図ではない。定理24(一切皆苦定理)が担うのは式(27.2)の空未満の枝だけであり、最高抽象度における無明と行の同値には用いられない。

8. 総括――数学的にはどこまで一つなのか

定理26(涅槃寂静定理)が与える最高抽象度 における動的寂静は、定理27(無明起行定理)の最高抽象度部分の基盤をなす。定理24(一切皆苦定理)は、空未満における永久零苦不能を通じて式(27.2)の空未満の枝を与え、抽象度束全体にわたる型付き操作的無明の全体像を完成させる。他方、最高抽象度における Avijjā27⇔Saṅkhārā27 は、定理26(涅槃寂静定理)の常設仮定、式(26.A)・(26.B)、所定の正則性、および条件27-Aから成立する。したがって定理24(一切皆苦定理)は型付き総合には不可欠だが、最高抽象度の無明起行対応の直接証明には用いられない。

したがって、本体系が形式化した範囲では、初期仏教の十二縁起の冒頭句と、大乗・日本密教的に解釈された生きたままの動的寂静とは、本モデル内の共通の形式構造上で接続できる。悟りの視点 から全体を捉える記述と、空未満の人間の視点から苦の生起と止滅を追う記述とは、方向が異なるが数学的に両立する。この限定された対応については、両者の差を、数理機構の断絶ではなく、主として視点と記述方向の差として表現できる。

最終命題

本稿の解釈写像において、仏陀の視座から捉える空と、人間の未達の視座からたどる縁起は、別々の宇宙を記述するものとしてモデル化する必要がない。本体系が形式化した接続点に限れば、両者は、最高元 、零残余集合族、および同集合への接近を支配するLyapunov力学という共通の形式構造を、異なる視座と記述方向から捉える二つの表現として整合的に配置できる。

これは本モデル内の形式的両立可能性の主張であって、初期仏教・大乗仏教・密教の歴史的・教義的同一性の主張ではない。また定理27(無明起行定理)は、パーリ語原典上の avijjāsaṅkhārā の全語義を尽くさない。本定理が厳密に証明するのは、両語を Avijjā27Saṅkhārā27 というモデル相対的・操作的概念へ写像したのち、明示された仮定のもとで成立する条件関係である。さらに、本定理の証明範囲は十二縁起の最初の一関係に限られ、残る十一の条件関係を証明するものではない。

基盤版について.本稿が定理24(一切皆苦定理)・定理26(涅槃寂静定理)および条件26-Aの直接基盤とするのは TomabechiFourDharmaSealsMini13 であるが、定理26(涅槃寂静定理)は Mini13 と Mini14 で完全に同一である。両版の差は定理15(苫米地認知物理エントロピー交換・保存定理)を本文に収録するか、同じ収支を共通仮定として明示するかにあり、本稿が用いる装置には影響しない。したがって本稿の記述は Mini14 を基盤とする読者にもそのまま通用する。

参照資料

数理上の注意:定理26(涅槃寂静定理)の最新版では、条件名は単一の「条件26-A」であり、その内部に式(26.A)・(26.B)・(26.C)が含まれる。定理27(無明起行定理)の最高抽象度部分が直接用いるのは式(26.A)・(26.B)であり、式(26.C)はその証明には不要である。